東北を襲った冷害凶作による大不況をきっかけに、地域の再生・振興策として、中国から緞通技術者を招聘して始まった手織りの緞通製造。地元の人々の暮らしを豊かにすることを願っての、産業創成です。1965年からは、機械の力を借りた新技術の緞通づくりを導入する一方で、手織りによる製造を守り続けています。
皆川明 デザイナー
「山形緞通」
皆川明さんは、山形で生産される羊毛の絨毯「山形緞通」をリサーチ。緞通といえば佐賀の鍋島緞通、大阪の堺緞通などが古くから知られていますが、山形緞通は、山形県の小さな町、山辺町で作られています。今回皆川さんが訪れた山形緞通のメーカーは1935年に創業しました。
デザインの宝物
〈雪国のくらし〉を支えるデザイン
クリエーター
皆川明 デザイナー
1967年 東京都生まれ
1995年に「minä perhonen」の前身「minä」を設立。手作業の図案によるテキスタイルデザインを中心に、衣服をはじめ、家具や器、店舗や宿の空間ディレクションなど、日常に寄り添うデザインを行う。青森県立美術館、金沢21世紀美術館などのユニフォームを担当。デンマークのKvadrat、スウェーデンのKLIPPANなどのテキスタイルブランド、イタリアの陶磁器ブランドGINORI1735へのデザイン提供、新聞・雑誌の挿画なども手掛ける。
緞通に見る手仕事のよさ
山形緞通の工場を見学した皆川さんが最も感心したのは、製造工程からメンテナンスまで一環してこなすメーカーの真摯な姿勢と手仕事への敬意でした。あらゆるところで人の手が加わって完成へと近づく緞通を目の前に、手仕事が「〈見える〉というより、〈宿っている〉という感じがする」と感想を述べます。また、生活の道具として長く愛され続けられる緞通を「人生の想い出や記憶がそのものに段々と染み込むように積まれている」と表現します。
日本の生活に合わせた風合い
「素足で歩くとか寝転ぶとか、そういう日本の生活感覚に合わせた風合いでとても心地がよい」と皆川さんは山形緞通の柔らかさに驚きます。独特の風合いの秘密は、工程にありました。素材である羊毛の糸の準備から始まり、染色、織へ。一段織っては専用の道具で折り目の密度を一定に整えるという反復作業を繰り返すこと一日数千回。織上がった後には、表面仕上げやエンボス仕上げ等を施し、最後は手鋏とピンセットによる毛分け、遊び毛のカットを経て、一枚の緞通が完成します。「〈感謝の気持ちと共に使う豊かさ〉は、こういう仕事から生まれるのだと思う」。皆川さんは職人の丁寧な仕事に敬意を表します。
物をつくる情熱や探究心 - 葛の根の糸の緞通
終戦直後、物資が欠乏し原料の羊毛が手に入らない状況下で知恵をしぼり考案されたのが「葛の木」の根を原料にした糸で手織りする緞通でした。雪の降る日に葛の根っこを掘り、かじかんだ手にマメを作りながら糸を紡ぎ、小さなじゅうたんを織り上げたといいます。困難な状況の中、祈るような気持ちで、ものづくりは続いていました。「材料も技術も充分になかった時代に創意工夫から生まれた葛の根のじゅうたんからは、〈物をつくる情熱や探究心〉を感じることができる」と皆川さんは語ります。そしてこの熱意こそが後の「技術革新や創造性」につながると考えるそう。
人生に染み込み、積まれる
山形緞通には、フックガンと呼ばれる道具を用いたハンドタフティング製法で製造されるものもあります。手織りに比べ合理化されているとはいえ、様々な部分で人の手を必要とします。フックガンの針で基布に糸を植え付けた後の細密なカットや製品を整える作業は、熟練した職人技術で支えられています。ハンドタフティング製法を用いて新作緞通のデザインをすることなった皆川さん。普段は均質性が重要な緞通ですが、皆川さんは、糸の染色に「絣染め*」を提案。「ゆらぎがあったり不ぞろいがあったりすると、暮らしの場はもっとリラックスする。」とその意図を説明します。
どこに行けばこのデザインの宝物に会える?
山形緞通
工房・ショールーム
体験スペース
毎週木曜日と金曜日、隔週土曜日で工房見学が可能。また、工房に併設されたショールームでは、山形緞通の全製品を取り揃え、オーダーメイドやメンテナンス等、様々なご相談を承っている。いずれも要予約。
〒990-0301
山形県東村山郡山辺町大字山辺21番地
利用詳細はホームページをご確認ください