氷室は都に近く、気温が低い地域に設けられました。都祁氷室の旧跡は、朝廷のあった奈良盆地の北東に続く標高約500mの大和高原に位置します。寒冷地であっても、夏まで氷を保管するには、自然の力だけでは叶いません。土地の手入れや、季節ごとの仕事を人間が手掛けて、やっと氷が残ります。塚本さんは、古代の氷室を取り巻く環境と人間の関係性に「現代のランドスケープデザインに通ずるもの」を見出します。
塚本由晴 建築家
「氷室」

建築家の塚本由晴さんは、奈良で氷室をリサーチ。古代、氷を保管する 室 に冬に蓄えられた氷は、暑い夏に皇室へ献上されていました。
かつて「つげの国」と呼ばれた天理市福住地区で、1991年、日本最古といわれる大型氷室跡が出土。日本書紀や、奈良時代の長屋王邸跡から出土した木簡にある、 都祁 の氷室から都へ氷を運んだ記録の裏付けとなる発見でした。天然の冷凍庫〈氷室〉から、古代の人々の暮らしと土地の連関を紐解きます。
デザインの宝物
氷をめぐるランドスケープ

氷室跡の窪地に降り立つ塚本さん
クリエーター

塚本由晴 建築家
1965年 神奈川県生まれ
東京科学大学 教育研究組織 環境・社会理工学院 建築学系教授を務める。1987年に東京工業大学建築学科を卒業後、パリ建築大学ベルビル校に留学。1992年に貝島桃代とアトリエ・ワンを設立。その後、1994年に東工大博士課程を修了し、ハーバード大学、UCLA等で客員教授を経て、2016年より現職。専門分野は建築意匠、建築設計。

復元氷室で保管された氷
都祁氷室の旧跡
「日本書紀」仁徳天皇62年の条には、 額田大中彦皇子 が 闘鶏 に狩りに来た時、天然の氷を保存した氷室を初めて目にして、それ以後、朝廷へ献上するようになった、とあります。
一帯には奈良時代から平安時代にかけての製氷基地といってもよいほど、多くの氷室跡が残されています。地区には、「氷の神」を祀る氷室神社が。各地にある氷室神社の中でも最古のものとされています。
古代、冬に蓄えた氷は大急ぎで天皇や有力貴族に届けられ、今でいうかき氷やオンザロックとして楽しまれたといわれます。
地域で見つけて工夫したことが、徐々に社会の仕組みに入っていった
福住地区周辺には、大型氷室跡といわれる窪地が複数箇所、散在しています。氷の貯蔵に向いた場所だと発見したのは、そこに暮らす人々が「もともと谷や尾根に備わっていた特徴に価値を見出していった」からでは、と塚本さんは推察します。「おそらく雪が降った後、時間が経っても雪が残ってるぞ、みたいなことを発見して。氷が夏でも使えるように保存できると分かると、じゃあもっとやろう、おもしろいし、役に立つからとみんなが関わってきて、今度は朝廷に献氷するようなことが始まったのでは」とも。
氷室に関する木簡には、氷室の数や規模、構造や経営方法などが記されており、塚本さんは「まるで当時の風景が手に取れるよう」と感心します。

氷室のある尾根を目指す塚本さん

奈良時代の長屋王邸跡から出土した木簡。冬の氷を夏まで保存する氷室の記録が記される。

氷をつくった池があったとされる場所。谷は日陰が多く風通しが良いため、尾根から流れ出た水が凍りやすい。
氷室は風景全体の中の〈物事の連関〉を扱っていた
「氷をつくる池と保存する室の関係は、谷戸と尾根のもとにある地形を読んで利用する方法。落ち葉がないように池の周りの木を刈るなど、ランドスケープを管理し、氷室を成り立たせる条件を整えていたのだろう」と考える塚本さん。太陽の動きと影や、風の抜け道など、勝手に動く自然物の〈ふるまい〉の中に、人間がちゃんと位置づけられていると驚きます。
古代の人々の営みに組み込まれた氷室について、「土地をどう管理して、運用していくか。その風景を想像してみるだけでもおもしろい」と思いを馳せます。

小高い山の尾根にある氷室の跡地

氷室のある地形のスケッチを描く塚本さん。

塚本由晴 リサーチメモ
氷の保存の大敵は「雨」。尾根は雨水が下に流れ、氷を守れる地形。

塚本由晴 リサーチメモ
氷池のある谷は日陰が多く 風通しが良いため、尾根から流れ出た水が凍りやすい。
実践することで歴史をたしかめていく
明治時代以降、電気製氷機が登場し、安価に氷がつくれるようになりますが、戦後、停電が続いた時期には古式の氷づくりが復活。しかしほんの数年でやめになりました。1999年、村の長老たちが記憶を頼りに、茅葺き屋根の氷室を復元。2月に3トンの氷を詰めて、夏まで残す氷まつりが始められました。毎年記録される氷の残量から気候の影響の大きさがわかるそう。残った氷はまさに「ごちそう」と塚本さん。「Research through Designのいい実践例。わからないなりに想像してチャレンジして、失敗と成功を繰り返していくうちに、物の摂理からこうやっていたんじゃないかと言えるところまで持っていった」と話します。「実践することで歴史をたしかめていく」おもしろさを感じとりました。

復元氷室 天理市福住地区

氷室内部は断熱のため、隙間に茅が詰められる。

氷貯蔵庫の中を覗き込む塚本さん。

枕草子に記された「削り氷」は現代のかき氷。貴重な氷は貴族の夏のたのしみだった。
どこに行けばこのデザインの宝物に会える?
都祁氷室の旧跡
古代、都に献上する氷を貯えた日本最古の氷室とされる。付近には氷池の跡と言われる場所も残る。
●名阪国道福住ICまたは一本松ICを降りてすぐ
●天理駅から奈良交通バスで山辺高校行又は針インター行:国道福住下車、徒歩約20分
※バスの運行本数が少ないため、事前にご確認ください。
https://kanko-tenri.jp/tourist-spots/east/himuroato/

復元氷室
地元の人々が過去の資料や調査をもとに復元した茅葺き屋根の氷室。毎年2月に氷を蓄え、7月の海の日に氷室開きを行う。
●名阪国道福住インターより北へ約700m
●天理駅から奈良交通バスの山辺高校行又は針インター行:国道福住下車、徒歩約30分
※バスの運行本数が少ないため、事前にご確認ください。
https://kanko-tenri.jp/megurutenri/land/meguru-east/ontherock/
