「デザイン」という言葉を聞くと20世紀の近代デザインを想像することが多いですが、「1万年前の縄文時代、人が集まり定住を始めたムラの暮らしにデザインはすでに生まれていた」と田根さんは考えます。
「移住から定住に変わるという大きな変化の中で、何がデザインされてきたのか」。同じ土地で長く生きるための知恵が生まれ、道具が継承され、世代から世代へと循環する〈縄文のムラ〉から、火・土・魂のデザインが見えてきます。
田根剛 建築家
「縄文のムラ」
田根剛さんは、縄文時代中期の集落群を基にした御所野遺跡で縄文のムラをリサーチ。ここは1989年に調査が始まり、全国で初めて縄文時代の土屋根の竪穴建物が確認された史跡です。これまでに800をこえる竪穴建物跡が発掘されています。
田根さんが訪れた発掘・復元された竪穴住居や御所野遺跡から出土した土器などから、1万年前、縄文時代に人が集まり定住を始めたムラの暮らしに既にあった〈デザイン〉を紐解きます。
デザインの宝物
1万年前の住空間にもデザインがあった
クリエーター
田根 剛 建築家
1979年 東京生まれ
2017年にATTA‐Atelier Tsuyoshi Tane Architectsを設立、フランス・パリを拠点に活動する。場所の記憶から建築をつくるArchaeology of the Futureをコンセプトに、現在、世界各地で多数のプロジェクトが進行中。主な作品に「弘前れんが倉庫美術館」( 2020 )、ヴィトラキャンパスの「Tane Garden House 」( 2023 )、「帝国ホテル新本館」( 2036完成予定)などがある。
御所野遺跡とは
縄文時代中期の集落群を基にした拠点集落跡(岩手・一戸)。平成に入って発掘が進んだ遺跡では、竪穴建物復元など最新の手法による考古学研究が進んでいます。遺跡の関連施設である御所野縄文博物館では、土屋根の竪穴建物を実験的に復元したり、焼失実験を行うなど、実証実験を積み重ねています。御所野遺跡は「北海道・北東北の縄文遺跡群」の4道県に点在する17遺跡の構成資産の一つとして、2021年7月に世界遺産に登録されました。
縄文のムラは生きるための場所
生きるためにはデザインが必要だった
暮らしの形が移住から定住に変わる中で、人は土や火に関わるものにカタチを与え、そして「環」を形成しました。その土地で生まれた人間が育ち、成人し、老い、死んでいく。狩りを行い、水を汲み、木ノ実を拾い、森を育てる。定住する土地に人が集まり環をつくり、環に加わり、環の一部を担う者が800年間このムラ社会を維持したといいます。
火を囲むことから始まった定住
縄文のムラには、〈火・土・魂のデザイン〉がある
竪穴住居は炉を囲んでデザインされています。その空間形成は「火を囲うために穴を掘り、炉で薪を焚き、風を避ける壁を、と考えていったのかもしれない」と田根さんは話します。住まいとして土を掘ってつくった竪穴住居。掘った土は屋根に詰み、冬の厳しい寒さや夏の暑さを凌ぐ住空間としました。また、土を捏ね固めてつくった土器や、紋様をたしなみ、土に魂を込めて擬人化してつくった土偶など、土をつかい、そして土に還し、〈土と共に生きた縄文の生活〉からは、モノをカタチにしてゆくデザインが見えてきます。
日常と非日常、時間の意識のはじまり
魂にカタチを与え、その〈記憶がデザイン〉となった
定住という暮らしのかたちは、同じ土地で生き続ける計画的な意思を芽生えさせ、場所と時間への意識を生みました。それは、ムラの住居が円環状に配置され、入口が中央に向いていることから見て取れます。この環の中心には、石を並べた環状列石。これは生者が死者を祀り弔う「場」です。田根さんは「この土地で生まれ、共に生きた家族がこの土地で死す。その悲しみや苦しみによって心が生まれ、また祈りや願いによって魂にカタチが与えられたのかもしれない」と語ります。
どこに行けばこのデザインの宝物に会える?
御所野縄文公園
縄文時代中期後半の拠点集落跡、国史跡の御所野遺跡。隣接する博物館には、遺跡からの出土品やこの地域の文化財を展示している。
〒028-5316 岩手県二戸郡一戸町岩舘字御所野2
利用詳細はホームページをご確認ください